西洋近代が掲げた「自由」「人権」「民主主義」という普遍的価値は、確かに人間の欲望や進歩を肯定する形で発展してきましたが、それが過度に物質主義や個人主義に傾倒し、グローバル化の中で混乱や分断を生み出した。特にモダニズムが秩序や進歩を追求したのに対し、ポストモダニズムはその解体と相対性を強調し、さらにその先の「応用ポストモダニズム」やキャンセルカルチャーが、虚構や表層的な正義感に支配されたアートを生み出している。
現代アートにおいて、気候変動や社会的不平等、ジェンダーアイデンティティといったテーマが頻繁に取り上げられる一方で、それらが時に深みのある洞察ではなく、流行や政治的圧力に迎合した作品として現れてもいる。一方で、伝統的価値観やスピリチュアリティ、宗教的な美の再評価が試みられているものの、その動きは弱々しい。
21世紀におけるデジタル技術やAIの興隆は、アートの制作手法や流通を劇的に変えつつあるが、それらが西洋の論理そのものに根ざしている限り、根本的なパラダイムシフトには至らない。特に今世紀に入ってキリスト教の実質的意味での消滅や、ヴァナキュラー(土着性)や限界芸術が既存の枠組みを破れないという状況は、現代アートが新たな地平を開くための基盤を見いだせていないことを示唆しているのかもしれない。 AIやデジタル技術が単なるツールを超え、人間の精神性や神聖さを再定義する手段として使われる可能性は高いが。それが「虚構」を超えて人類の進化「覚醒」や「神聖な美」を追求する方向に進むかもしれないが、この文明の終わりの最後の輝きかもしれない。
昨年、最も読み応えがあった書籍は「霊的最前線に立て!: オカルト・アンダーグラウンド全史」ずっとこの路線の影響下にあったが、この本の近代オカルトに加えさらに初期キリスト教、グノーシス主義などの源流、及び古神道を探っていたためか、2020年までには暗黒のアート作品を廃棄し暗闇から抜け出していたのでより客観的に読めた。平田篤胤と国家神道の重苦しさから吹っ切れ、その原点、日本の美意識を見出すため「本居宣長:「もののあはれ」と「日本」の発見」も昨年最も印象に残った一冊だった。